トンボの眼(インタビュー)
永井 清陽
( ながい きよはる )
ジャーナリスト
元読売新聞ローマ、パリ、ロンドン支局長
言語交流研究所 研究協力者
2004年ひっぽしんぶんNo.17
編集部:
現在、ヒッポの研究部門のシニアフェロウとして、学生や"ひっぽしんぶん"編集スタッフに貴重なアドバイスをくださっている先生ですが、どのようなきっかけでヒッポのことを知ったのですか。
永 井:
もう11年前のことになりますが、長かった海外生活を終えて帰国し、連載の執筆を担当していた時のこと。近所でヒッポのチラシを目にし、一体どういう活動だろうと興味を持ち、「多言語に挑む」という連載でヒッポを紹介しました。これが、新聞社にびっくりするほどの反響があっただけでなく、ヒッポの本部にも問い合わせが殺到しました。それがきっかけで、以来ヒッポとの関わりができたわけです。
編集部:
先生は海外での生活も長いとか。ヨーロッパなど、多言語の環境に身をおいてお仕事をされてきたそうですね。
永 井:
30代から40代にかけて、海外特派員としてヨーロッパを中心に暮らしていました。短期の訪問まで含めると、世界約65ヵ国での滞在を体験したことになります。ヨーロッパで気づいたのは、日本では「母国語」というのに、例えば、英語では"Mother tongue(母語)"と表現する。「国」のことばではなく、「お母さん」のことば、つまり環境のことばを話すという感覚。「国語」「国文学」という意識は日本人特有の考え方です。
編集部:
多くの国でいろいろな経験をされたと思いますが、異文化交流の中で、面白いエピソードがあればぜひお聞きしたいのですが。
永 井:
イタリアに赴任したばかりのころ、「ボナセーラ!(今晩は)」を言うタイミングがわからなくて当惑しました。なぜか「ボンジョールノ!(今日は)」と返ってきたり、その逆だったり・・・。こんな簡単な挨拶も通じないとはと、何か馬鹿にされたような気になったのですが、そのうち気づいたことがあります。イタリアには昼食後、昼寝(シエスタ)する習慣があるのですが、その昼寝を終えると「ボナセーラ」になるのです。夏は夜10時ごろまで明るいので、昼寝をしない多忙な人たちは、「ボンジョールノ」の時間が長いというわけです。単語を知っていれば話せるのではなく、その国の文化を理解しなくては、本当の意味では通じないことがわかりました。
編集部:
おもしろい体験ですね。私は、初めて韓国に行った時、女の人たちが立て膝でご飯を食べる姿にびっくりしたことがあります。日本では行儀が悪いとすることが、お隣の国では正座にあたっていたりすることは驚きでした。様々な異文化に触れてきた先生にとって、一番大きなカルチャーショックとはどんなものでしたか。
永 井:
今でも強烈に記憶に残っているのは、初めてカイロに行った時のことです。タクシーを拾って行き先を告げた途端、ドライバーに"How much?"と聞かれたのです。値段を言おうにも、初めてで距離もわからない。そのことをいくら言っても、ただHow muchばかり。適当な値をつけたら、かなり割高であったことを後で知りました。値段というものは、売り手がつけるもので、せいぜい値切るという発想しかない文化圏に育ったものとして、180度の発想の転換を迫られる大きなカルチャーショックでした。
編集部:
「異文化」に触れる体験とは、自分の持っていた価値観の物差しが変わってしまうことでもあるのですね。
永 井:
日本人はどちらかというと「単眼」思考。世界中に異なるものの見方をする人たちが存在するということに触れる機会は大切です。でも、それはわざわざ海外へ行かなくても、日本にいる様々な国の人たちと触れ合うことでも経験できることです。
これからの時代を生きていくこどもたちに、私が送りたいメッセージがあるとすれば「トンボの眼を持とう」ということです。トンボは単眼ではないですよね。世界には様々な考え方、文化が存在することを受け入れる寛容さを持つことが大切です。新しいものに出会った時に、トンボの眼のような複眼思考で見ていけるといいですね。