なぜ多言語?
日本で生まれ育った私たちは、いつの間にか日本語を話すようになりました。
自分で日本語を選んだわけでも、教室に通ったわけでもありません。ふり返ってみると、小さい頃、
周りの人たちから日本語でことばをかけてもらい、日本語と共に育ってきたことに気づきます。
また、ヨーロッパにあるルクセンブルクという国の人たちは、ルクセンブルク語だけでなく英語、ドイツ語、フランス語の4つのことばを誰もが日常的に話します。同じように、インドやアフリカなどたくさんのことばが飛び交う国の人たちも、周りで話されるいくつものことばを、自然に話せるようになっています。
そして、このように複数のことばを話す人は、大人になってから出会うことばにも柔軟で、新しいことばを
楽に習得しています。
一方、一つのことばで育ってきた私たちが、英語を習得しようとして日本語との違いを一生懸命覚えても、
母語のようにはなかなか話せるようになりません。
この事実からわかること
人間は環境のことばを、誰でもいくつでも話せるようになります。
人間はもともと「人間のことば」を話せるようになる能力をもって生まれてくるのです。
周りの人たちから日本語でことばをかけてもらい、日本語と共に育ってきたことに気づきます。
このことは、○○語、□□語という表面的な違いの背後に、すべてのことばに共通の普遍的な基礎構造が
あるからだと考えられます。例えば、日本に生まれた赤ちゃんが、日本語を話すようになる時、家族や周囲の人たちの日本語に触れながら、人間のことばの基礎構造が育っていきます。
5才くらいになってアメリカに移り住んだ子は、一年もすれば年齢相応の英語を話すようになります。
それは、日本語を習得する時に育ったことばの基礎構造に支えられて英語が育つからです。
そして同時に英語の側からも基礎構造が補強されていきます。
多言語の人は、この構造がとても密になっているので、次のことばをあっという間に話せるようになるのです。
このように多言語になると、一つのことばではなかなか感じることができない真ん中の部分
(人間のことばに普遍的な基礎構造)が豊かになっていきます。
ヒッポでは、多言語の活動を通して、どんな人や国にも線をひかず、
すべてのことばに開かれた心を持った人たちが育っています。
自然習得のプロセス
人間がことばを話せるようになるプロセスは、どのことばでも同じです。
最初にわかるようになるのは、○○語らしさ(リズム・メロディ)
言えるようになるのは、メロディと特徴的な音(大きく聞こえる音、語尾など)
意味はくり返しの中で、大まかなところからわかっていきます。