ことばは音楽
坂田 明
( さかた あきら )
ミュージシャン
言語交流研究所 理事
2011年ひっぽしんぶんNo.50
音楽はことばだ。俺はそう思っている。俺の心、言いたいことが音に乗って、それが飛んでいって皆の心の中を響かせる。音楽ってそういうものだ。我々が音楽でやっていることとヒッポでやっていることは同じ。ヒッポでは、ことばに偏見を持たずに音からやっている。そこでは自分の伝えたいことがあって、その気持ちが相手へ届く。俺たちは、そういうことばであり、音楽をやっているんだと思う。
面白いもので、音楽もことばも文字から入るのではなくて音から入るのがほとんどだ。文字を知らなくても、こどもはメロディを捉えて歌を歌う。ことばにもメロディがある。音楽は、自分で演奏しない人でも何回か曲を聴いていると「あ、これはモーツァルトだな」とか「これはバッハだ」とかわかるし「これは北島三郎だ」ってわかってくる。人間には、そういう能力がある。俺の住んでいる街では、駅から家へ歩く間に中国語、韓国語、ヒンディー語などがよく聞こえる。何を言ってるのかよくわからないけど、でも聞こえるとそれが何語かがわかるんだ。
以前、北京で記者会見して「ニーメンハオ!」とやったら、会場がどっと沸いた。人間だから、こういうことばをやっていきたい。どこの国のことばでも「こんにちは、さようなら、ありがとう」くらいできたら関わるのが楽しくなる。だが、中国のウィグル自治区に行って「ニーメンハオ」なんて言ったら嫌な顔されるだろう。あそこへ行ったら「ヤクシムスィズ(こんにちは)」って言うのがいい。それはどういうことかというと「あ、ウィグル族に親近感を持ってる人間だな」と理解されるわけだ。ことばができるというのは、単に喋れるってことではないんだ。目の前の人に何を伝えるかってこと。
俺はサックスをやっているけれど、それをやること自体が目的じゃない。サックスは音が出ればいいわけで、声が出るのと同じようなもの。サックスをうまく吹いてどんなもんだ!と思っても、それは音楽ではない。音楽は別のところにあるものだ。音楽というのは、もっと人間の本質近くにあるもの。技術としてサックスが上手だからいいというものではなく、もっと哲学と繋がっているというか、人間としてどう生きているかってことなんだ。でも、俺のやっていることをわかってくれるのは、100人いてもその中で3人くらいかもしれない。それでいいと思っている。万人受けするようなものを目指すのではなくて、本気で俺がやりたいこと、伝えたいことをストレートにやっていけばいいのだと思っている。
(2010年5月講演会にて)