多言語を学ぶ意味
大和田 康之
( おおわだ やすゆき )
レッドランズ大学名誉教授
Engage Asia財団 理事
LEX America 理事 言語交流研究所 理事
2006年ひっぽしんぶんNo.25
昭和23年、旧制の福島中学時代に榊原さんに出会いました。ちょうど彼の一家は、東京から福島へ疎開して来ていたのです。彼の周りには、いつも「陽ちゃん」と彼を慕う弟分のような学生が集まっていて、僕もよく一緒に遊んだものでした。12月になるとクリスマスを祝う榊原家によばれ、居間のピアノで彼が弾くキャロルにお姉さんや妹さんたちと一緒に歌ったことが甘酸っぱい思い出となっています。
幼少のころから彼の家には、学者であり敬虔なキリスト教徒であるお父さんや、新憲法のもと初の女性衆議院議員であったお母さんを頼ってたくさんの、そして色々な人たちがやって来ていました。外国人を含め、そのような家の外に生きる多種多様な人たちに囲まれて過ごした環境が、彼の持つ、異質なものを自然と自分の生き様の中に受け入れる態度を培ってきたのでしょう。 世の中で英語教育などまだまだという頃から、彼は言語教育への取り組みにチャレンジし、当時まだ普及していなかった再生機とともに英語を音として一般家庭に持ち込んだのです。時代を背景にやがて、英語の教育熱が激しくなると、日本の社会全体の、西欧を見上げ、対してアジアを見下す視線を彼なりに敏感に感じたのでしょう。そのような時代にあって、韓国語を選び活動に導入する感覚は、まさに彼らしいものでした。僕が長いこと一緒に仕事をしてきた理由にはそういった、彼の何ものにも属さない自然に自由に生きる事を大切にする実践家であるということがあります。いくら素晴らしい理論があっても、実行しなければ何もなりません。
僕は長くアメリカで家族と暮らしています。妻はアメリカ人ですが、アメリカ人ではない僕に見えてくるアメリカの抱える大きな問題として、ことばのことがあります。日本は単一言語のためか均一的であり、ことばが社会の存続に関わってくるような大問題になることはあまりありません。アメリカは人種の坩堝といわれながらも、ほとんどの人は英語を話す、話せると思われています。しかし、小学校のクラスなどでは、両親が話せない英語は話せないというこどもがたくさんいるのです。アメリカは様々な移民を受け入れてきたけれど、ことばはあくまで英語を話さざるを得ないように、そう国がつくられてきています。学校の先生たちも、英語でしか教えてくれません。よくわからない英語で授業が進んでいく中、こどもたちは先生の言っていることばがわからずに落ちこぼれていきます。また英語はできるようになったこどもたちは、もとの母語を忘れるか、使いたがりません。日系人の間でも2世の人々は日本語ができない、使いたくないという人が多いのです。
一見、英語を話す人たちのみによって構成されているように見える社会も、スペイン語あり中国語あり韓国語あり、まさに様々なことばを話す人たちが混在しているのです。学校では耳を傾けると20ヵ国語くらいが聞えてきます。ではそのこどもたちがどうコミュニティをつくるかというと、お互い交じり合うこともなく20のグループが個別に、そこにできるわけです。最近になってようやく、お互いを尊重しあう考え方、それぞれの母語も大事にしようという考え方が教育界にも入ってきました。HERITAGE LANGUAGE・・・自分の祖先のことばが消えないように努力しようという考え方です。ナバホの人たちが通う学校ではナバホ語の授業が始まっています。でもそれは、ヒッポのように誰もが多言語を気軽に話すというものではありません。ナバホの人たちはスペイン語をやらないでしょう。なぜなら自分たちに関わりのあることばではないからです。お互いが自分の母語か英語しかない状態で、いくら共通の英語で話していても社会はパッチワーク的な繋がり方しかできない。20のことばと20のグループの存在と同じことです。アメリカにとってことばの問題とは、実は社会の在り方を映し出す鏡でもあるわけです。
アメリカで、4-Hクラブとの会議に出席する際など、そこで未来のアメリカを担うリーダー育成について話をすることがあります。私が真のリーダーシップについて必要だと思うのは、多言語を話す、というスタンスです。多言語を話すということは、違ったことば、価値観を持った人を自分の中に受け入れるということ、寛容ということです。
ヒッポでは、まず目の前の人のことば、相手の母語を大切にしようというスタンスで多言語をやっていますが、そんな皆さんが大勢でホームステイにやって来たら、アメリカは大きく変わっていくことでしょう。
多言語的なゆるやかな重なりの中で歩み寄った時、どんなことばを母語に持つ人々にも、お互いのアイデンティティーを認め合うことができます。アメリカにそんな波紋を起こすことができるのは、ヒッポの皆さんひとりひとりの投げる小石からなのでしょう。