果てしなき問い ~物質とは何か?~
山崎 和夫
(やまざき かずお)
京都大学名誉教授(理論物理学)
言語交流研究所 研究協力者
2005年ひっぽしんぶんNo.20
私がヒッポとご縁を持つようになったのは1983年の秋に榊原さんと京都でお目にかかって以来である。それは榊原さんが、私の恩師ハイゼンベルク先生の著書『部分と全体』(みすず書房)の私の翻訳に大変感銘を受けられて、会いたいといわれての出会いであった。そして翌年開講されたトラカレで量子力学の話をすることになった。その頃の20人以上いた1期生は皆とても熱気にあふれていて、一体どのように話をしたらよいのか、試行錯誤を重ねながらの講義であった。数式はなるべく書かないほうがよいかと思ったが、かまわないからどんどん書いて下さいということで、黒板にいっぱい数式を書き並べて話した。ヒッポ流に数式も言葉の一種として、まず大波的にとらえようという事なのだと理解した。それ以来プランク、アインシュタイン、ボーア、ハイゼンベルク、パウリ等の人間の紹介に絡めて、主として量子力学の話を20年以上、ずっと休まずに続けてきた。その間にトラカレ生の生んだ『量子力学の冒険』等々、とにかく素人集団としては驚くばかりの努力と気合いで、この種の書物を次々に生み出していく見事さには感心させられている。去年は主として相対性理論の話をしたが、今年はその特殊相対性理論の誕生100周年という事で「国際物理学年」の催しが各国で行われる事になっている。たまたま私は昨夏スイスのベルンにある、100年前ごろに新婚時代のアインシュタインが住んでいた街を訪ね、現在はアインシュタイン・ハウスという記念館になっている所へ行った。ベルンの中心街に近いその辺りは世界遺産に登録されている古い町並みで、100年前とほとんど外見が変わっておらず、アインシュタインがこの風景の中で相対性理論を考えていたのだなと感慨を新たにした。
私の専門は素粒子論である。古来から人類が食べる事にのみその全エネルギーを注ぎ込まなくてもよくなってから抱き続けてきた根源的な問いかけとは「宇宙とは何か」「物質とは何か」「人間とは何か」「生命とは何か」等であったろう。人間とは何かに関する主な話の一つがヒッポの主題「言葉とは何か」だと思う。素粒子論とは「物質とは何か」についての現代版だと思われる。2500年ほど昔にギリシアのデモクリフトスが物質を細かく細かく分割していくと、それ以上分割できない「原子」(atom・・・a=not, tom=dividable)にいき着くという哲学的な「原子論」を提唱した。それが近代になって、物質を細かく分割していくとまず分子に、さらにそれを分割すると原子に(不幸にして今日では少し早まってこの名称をつけてしまったが)原子を分割すると原子核と電子に、さらに原子核を分割すると陽子と中性子に・・・。そして電子、陽子、中性子等を素粒子と名づけてきた。それらに光子、ニュートリノ、陽電子を加え、私が大学に入学した頃は、それに湯川中間子が加わったものが素粒子の全部であった。ところが前世紀の中頃から次々に新しい素粒子が発見されてきた。そのような素粒子が数100種類にも及んでくると、ごく自然に素粒子を分割すると何になるかという問いが生じてきた。そこで巨大加速器で加速した素粒子同士をものすごい勢いで衝突させると、確かにどちらの素粒子も粉々に多くの破片に砕け散った。しかしその破片をよく調べてみると、どれも上記の既知の数100種類の素粒子の中のどれかであった。つまり素粒子(全体)を分割すると素粒子(部分)になるということ。元の素粒子の破片として生じた多数の素粒子の質量は、結局元の素粒子の持っていた莫大な運動エネルギーが、アインシュタインの関係式E=mc²によって、質量に転化して生じたものであった。このように素粒子の段階では構成要素である部分と、元の全体との質的な区別がなくなったというのが私の恩師ハイゼンベルク先生の晩年の学説の土台である。
ハイゼンベルク先生とは10年間に多分2、300回は、彼の所長室で物理の話をした。彼の部屋に入って握手をしながら「Guten Morgen Herr Professor(先生おはようございます)」「Guten Morgen Herr Yamazaki, Nun was gibt es Neues?(おはよう山崎さん、それで何か新しいことは?)」ですぐに物理の話が始まる。先生は忙しく又厳しい方で、所長室では天気の話も世間話もした事がない。しかし彼は対話の相手の話を本気でよく聞いてくれて、その中からプラスになる何かを発見しようと、常にプラス志向の人であった。話の内容はもっぱら素粒子の統一場理論に関する詳細な数式の解法と、その物理的解釈に関するものだった。
しかし世界の99%の素粒子論学者は素粒子を分割すると、クォークと呼ばれる粒子から出来ていると信じている。それでもクォークを単独で発見しようとする数10年にも及ぶ努力が成されたにも関わらず、誰も成功しなかった。そこでクォーク間には特殊な力が働き、クォークは素粒子の中に閉じ込められて、単独では発見することが原理的に不可能であるという理論が作られ、それが今日の標準理論と呼ばれる理論の土台になっている。ハイゼンベルク先生は「クォークは存在しない」と主張し続けて亡くなった。彼に言わせれば素粒子を分割すれば素粒子から成り立っているという段階で“分割する”という言葉が意味を失い、クォーク仮説は誤ったデモクリトス流の原子論に基づく哲学的な問題の建て方によっていて、クォークが原理的に単独で発見できないのなら、それは理論を作るのに便利な数学的な道具であっても、それを実在する粒子とは言わないのだと主張する。彼には、アメリカ流の哲学不在で、実用主義的な物理学が我慢できなかったのである。