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国際交流(ホームステイ)

娘のロシア交流で考えたこと/2週間のロシア交流で得たもの

娘のロシア交流で考えたこと

2017年の夏休み、⼩学校5年⽣の娘がロシアに旅⽴った。およそ2週間、ロシア⼈家庭にホームステイして家族になるというヒッポのプログラムだ。
先⽅とはもちろん⾯識はなく、ロシア語だって挨拶ぐらい。⼼配の種と成⻑への期待が渦巻く中、元気に出発した。
娘がロシア交流を決めたのはその⼀年前。そこから様々な準備が始まる……

外国の異なる⽂化の⼈々とお互いに理解し合うために何が必要か?それを考えれば考えるほど⽇本の⽂化や⾃分⾃⾝に向き合うことになる。⼩学5年⽣が世界の中の⽇本と⾃分について家族や地域の仲間と⼀緒に考えるのだ。交流の準備は親にとっても⾯⽩くて得難い体験だった。

そしてどれだけ準備しても予想もしない⾃分と出会うのが交流だ。
ふたを開ければ娘は前半の⼀週間はホームシックで泣いていたという。受け⼊れ家族だけではなく、ヒッポのスタッフにも非常に心配をかけた。
ところが⼀週間も泣くと、泣く理由がよくわからなくなったそうだ。急にポジティブになってロシアを楽しまなくちゃ損だと思ったとか。 親から⾒ると⾃⼒で⽴ち直った経験が貴重だと思う。本⼈も物凄い⾃信につながったという。
とにかく娘は驚くほど元気に帰ってきてほっとした。

ヒッポの交流は帰国してからがまた凄かった。
娘には翌⽇から何度も何度もあきれるほどの回数、体験を報告する機会が設けられた。すると次々と新しい話が出てくるし、話し⽅も瞬く間に要点が整理され、こなれていく。さらには2年近くたった今でも時々話す機会があり、いまだに聞いたことのない話が⾶び出すのは驚きしかない。

娘が出発前、親としては実りある旅をしてきて欲しいと思っていた。
しかし、繰り返し娘の報告を聞いて考え⽅がまるで変った。実りある旅なんて親の幻想だと思ったのだ。
親から離れて冒険してきた⼦どもたちは⾒知らぬ⼟地で様々な経験をしてくる。その確率は100%だ。そして彼らは⼈⽣の糧になるたくさんの種を持ち帰るのだ。
その種を成⻑させる肥料は⼈に話すという⾏為だ。話し続けることで⾃分の体験を年齢相応の価値観で⾒つめ直すことになる。そこに新たな発⾒がある。そして話を聞く親たちと様々なものを分かち合うのだ。親もまた娘の体験から様々なことを考え、少しだけ成⻑する。ヒッポの⻘少年交流は親にとっても刺激的で⾯⽩い体験だ。
ロシアから帰ってきてから娘の話す⼒は⾶躍的に発達したと思おう。彼⼥は⼤勢の⼈の前でマイクを持ち、進⾏役をしたり、堂々と体験談を語る。⾃分がロシアで得たものを⼀つ⼀つ確かめながら進んでいると感じる。

今年の夏には1ヶ⽉のアメリカ交流に⾏くという娘。今度はどんな成⻑を⾒せてくれるのか?毎⽇、ワクワクしながら⾒守っている。

2週間のロシア交流で得たもの

ロシア語もわからないのにホームステイ

ロシアのホームステイは何の迷いもなく決めました。学校の友達に⾔ったら皆すごく驚いて「怖くないの」って。
でもヒッポの先輩達の話を聞くともちろん⼤変な事もいっぱいあるけどそれ以上に楽しい体験が多くて、「怖い」より「⾏きたい」としか思えない。ほかの選択肢は⾃分の中にはなかったと思います。
ロシア語は「はい」「いいえ」「おいしい」「ありがとう」だけ。不安も多少あったけど⾔葉なんて関係なくロシアの⼈たちと仲良くなれたらそれでいいって、ポジティブに考えて出発しました。

予想外のホームシックに!

ところがロシアに着いたらひどいホームシックになりました。これは全く予想外。
事前の準備で⽂化が違うのは知ってたけど実際に体験すると、⽇本と違いすぎてすごいショックなんです。看板もテレビもロシア語だらけでとにかく緊張する。家でロシア語のCDはかけていたけど、それとは全く違う感覚。⽣で聞こえてくるロシア語に超驚いて混乱したのです。
ホストの家に着くと景⾊も⾷べ物もホストとの会話もすべて⽇本と⽐べてしまう。それで⽇本のこと思い出して泣きそうになる。それがホームシックの始まりでした。
とにかく1週間、ずっと泣いていました。
ロシアの家族にもすごく⼼配をかけた。ママは優しくて毎回ハグしてくれるのですがそれも⼼配かけてるからと思ったらさらに泣けてきちゃう。
でも、泣き続けていると泣いている意味がわからなくなった。「なんで私泣いてんだ?」って。そしたら急にポジティブになれて、どうせ⽇本には1週間後に帰れるんだからと思ったらそこからは楽しめました。帰る⽇がだんだん近づいてきても、もう少しここにいたいなとも思っていました。

⾔葉の発⾒が⾯⽩い毎⽇

出発前、家ではロシア語のCDをただ⾃然に聞いてただけ。張り切って聞いてたわけではなかった。でも、ホスト達の⾔葉を聞いて突然頭の中でCDが流れ出すことが多かった。それでホストのいうことがわかったりする。ホームシックで泣いている時でもそういう⾔葉の発⾒を⾯⽩がっている⾃分がいたと思います。

ロシアに⾏って変わったこと

もともとヒッポに⼊ったおかげで⼈と話すコミュニケーション⼒がけっこう⾼まったと⾃分で思っていました。それでも⼤⼈には気を使ったり遠慮がありました。 でも、ロシアでは全然知らない⼤⼈がロシア語で話しかけてきたりする。気を遣うどころではなくて⾔葉が通じなくても話さなくちゃいけない。とにかく⾃分の思っていることを伝えるだけで精⼀杯なの。
そこで暮らして帰ってきたら、⽇本では⾔葉が通じるからどんどん⾏ける。相⼿が誰でも⼤丈夫。いろんな世代の⼈と⾃然に話せるようになったと感じます。

今年の夏はアメリカに⾏ってきます

アメリカでもホームシックにならないか⼼配はあります。でも、また、なんとかなるかなって感じ。オレゴンの⾃然とか本物のアメリカの英語はどんなものか、⽅⾔があるのかとか、そういう所に興味があって。ホームシックの問題は3番⽬くらい。ロシアのホームステイの経験があるから、知らないところに⾏っても絶対になんとかなる⾃⾝があります。英語もあまり話せないけど、ぺらぺらに話せるようになっていくより⾯⽩い発⾒ができる気がしています。