日常の活動
ファミリーでの活動
ヒッポの一歩から広がる わが家の可能性
森 隆憲 / 東京都
1992年7月、私はアメリカのメリーランド州へ飛び立ちました。当時の私は、海外が好きでも嫌いでもなく、父親から「アメリカに行くか?」と言われ、もしかしたら今後長い人生で海外に行けるチャンスがないと思い、「うん、行く」と人生初めての海外へ行くことを決めました。まさかそれが私にとって大きな人生の転機になるなんて、その時は知る由もありませんでした。
アメリカのメリーランド州、それは郊外の静かな閑静な住宅地でした。黒人の家庭でお母さん、お姉さん、ホストブラザーのお兄さん、弟2人という5人家族で賑やかな家族でした。週末には教会へ行き礼拝を守り、英語の讃美歌も歌いました。時には、ホームパーティーへ行って同じヒッポの仲間達と再会して、美味しい料理や庭付きのプールで泳いだりしました。また、湖に連れて行ってもらい、馬にも乗せてもらう体験もしました。それは楽しい思い出ですが、アメリカは英語なので通じない時も多くありました。例えば、夢の中に英語がたくさんグルグル回り、「気が変になりそう」とふと目が覚めたら、ホームステイ先の寝床でした。また、ホストのバイト先に行かせてもらった時に、ホストが少し席を外すので窓口対応をして欲しいと言われ、窓口にいたらお客さんが来られ何だかよく分からない英語で話され、「私は、ここのスタッフではない」と言ったら、そのお客さんに「何言ってんだ、あんたはそこに座っているだろ」と怒られました。そんなことを体験しつつも、時にはホストと夜中まで英語で話していた時もありました。そんな体験をした後、私はもう一度海外へ行ってみたいと思うようになりました。なぜ、そんな風に感じたのかと考えると、英語と言う言語だけではなく、人の表情や身振りや手ぶりなどのサインを聴くことによって、単語は分からないけどこんなことを言っているのかな?と聞いた時に、「そう、よく分かったね」とホストに言われたのが本当に嬉しかったからだと思います。こんな風に、色々な方々と話をしてみたいとそう思ったのです。
それから、24年の月日が経ちました。私は、ヒッポのことは忘れ日々の生活に追われていたように思います。しかし、追われながらもあの時感じた、「もう一度、海外に行ってみたい」という思いは叶い、タイ・韓国・アメリカ・台湾・オーストラリア・ハワイなど多くの海外へ行くことができました。また、私は仕事で海外の方と一緒に交流する機会がある職場にも恵まれ、私と私の息子はヒッポに行くようになりました。(妻も最初は、行っていました。)きっかけは、妻が近所の文化センターでヒッポのチラシを持ってきて、「これ、行ってみない?」と私に言ってきたからでした。私は、あまり考えず「行ってみようか。昔、ヒッポでアメリカに行ったよ」と言ったのを覚えております。その時は、軽い気持ちで見学だけのつもりでした。しかし、見学に行った時の衝撃は大きかったのを覚えております。小さな子から高校生ぐらいの子が、立派に自分のことばで話をしているのです。そして、誇りをもって話をしている様子がよく分かりました。また、昔お世話になった方もいらっしゃりあるご縁を感じたので、これは入ろうかという具合にあれよ、あれよと入会をしました。
それから、一年半が過ぎ私も息子もヒッポの雰囲気に慣れてきて色々なことを思います。
それは、息子のことばの変化や周りの人のコミュニケーションがとてもいい具合に成長しているなぁと思います。というのも、息子はヒッポの方々にたくさん遊んでもらい、そして色々なことを教えて貰っています。最初は、戸惑っていましたが徐々に慣れていき、親の手から少しずつ離れて遊べるようになりました。それは、寂しい気持ちもあり嬉しい気持ちもあります。でも、ヒッポには色々な世代の方がいるので安心感がありますし、私は親として見守ることを決め、色々な方々と関わることを通して、息子が楽しんで一歩ずつ成長してもらえたらと思います。親は(私も含め)、時に「躾」や「こだわり」等を通して、子供を自分の価値観で縛ってしまう可能性があります。それは、勿論大切な部分もあるかもしれませんが、それは子供の可能性が広がらないことになりかねません。そう、私が昔父親に「海外へ行かないか?」と言われた時に、「海外に行かない」という選択肢もありました。しかし、その可能性を開いたことによって、多くの可能性や私の知らない世界が開けたことには間違いがありません。だから、色々な方々との交流を通して、息子が多くの可能性を広げるお手伝いをできればと思います。勿論、息子だけでなく私も人として、父親として益々成長できればと考えております。
最後に、私はこのことを現在老人保健施設に入所している父親に話をしました。そしたら、「それは、良かった」と涙ぐんで喜んでくれたことを覚えております。父親となった今、昔、父親はどんな気持ちで私をヒッポに誘ってくれたのだろうと思います。それは、父親なりの思いが必ずあったと思います。それは、今度父親と逢った時に聴いてみようかなと思います。