3月20日(火・祝)10:30~12:30
国立オリンピック記念青少年総合センターの国際交流棟・国際会議室にて250名の参加がありました。祝日とあって青少年たちはもちろんのこと、社会人メンバーもたくさん参加しました。
講座では、人間を含めた生きもの全体の進化のこと、また自然の一部としての人間について話していただきました。人間が生きものの中の頂点にいるのではなく、進化の中でそれぞれが生きてきました。生きものはその生きものの一番得意なところを活かして繁栄したわけです。チーターは足の速さであり、ペンギンは水の中を自在に泳げること。だからチーターとペンギンを比べる必要はない・・・。一方、人間は分かち合う行為と、見えないものを思い浮かべて想像する力を持っています。だからこそ、アフリカ大陸で2000人から始まった人類の今があるといえるそうです。
1年前の震災後、想定外ということばをよく耳にしますが、この想定外ということばは自然に対する人間のおごりからきている・・・ということばは、分子生物学を生命誌という視点で研究している中村さんだからこそのことばではないでしょうか。
また機械は、利便性や効率、均一であることが大事で、人間には継続性があってその過程が大事。人間は多様であり、思い通りには動かない。でもその思い通りにいかない反面、思いもかけないすごいことをやれるのも人間です。人間や生きものの生命の不思議、生きているってなんだろう?という中村桂子さんからメッセージがこもった講義をお聴きしました。
3月20日(火・祝)14:00~16:00
臨床医として、失語や失読の研究をされている岩田誠さんの講座は、今回「文字」を認識する人間の脳に焦点をあててお話してくださいました。進化史から見たヒトの脳は2つの大きな飛躍がありました。第1の飛躍は、巨大な連合野の獲得。これによって迅速で正確なコミュニケーションが可能になりました。第2の飛躍は、文字の発明です。ふだん何気なくやっている読んだり、書いたりする行為を通して文字とは何かを考えました。読むということは、視覚記憶を聴覚記憶に変換することであり、書くということは聴覚記憶を視覚記憶に変換することだそうです。そうすることによって、人間は時間や空間を越えて相互的にコミュニケーションが可能になったわけです。 人間が目からの視覚情報を脳で処理して文字にする場合、また逆の場合、脳のどこの部位がどう反応するかを研究することで失語症の治療に役立つそうです。病気の回復途中で、仮名がまったくわからなかったり、なぞるとわかったり、また漢字をみせると漠然とした意味がわかる時期があったり、ある時期からまったくわからなくなったりする患者さんを診て、ひらがなと漢字は、脳の違う部分で働くのではないかと思ったことから、神経文字学という研究を始められました。これからは非日本語における読み書きの神経回路との比較や、ワードプロセッサや携帯電話などによる書字活動の解析も必要だそうで、文字の特性と脳の関係に迫る講座でした。講義後こどもたちからは、文字によって脳の場所が違うのは理由があるかとか、動物の脳との違いなどの質問が出て、先生も一つ一つに丁寧に答えてくださいました。
3月22日(木)10:30~12:30
ヒッポファミリークラブが誕生して30年。30年前、なぜ韓国語をやるのか、たくさんの人から反発を受けながらも「隣の国を越えて、世界はない」とスペイン語、韓国語と導入してきました。多言語だからこそ見えてくる人間の認識や「人間の言語」にある普遍的基礎構造、また日本語での母音や子音の美的配置について、さまざまなエピソードと一緒にお話しを聴きました。今回はとくに、子音がどう並んでいるか、自分たちの口を使いながら確認したり、また古代日本のことばやスペイン語、韓国語における音の弁別などについて聴きました。ことばの働きは、知識の積み重ねではなく、自分の体験や想像力が大きく関与します。わからないことがだんだんわかっていくプロセスを楽しむヒッポならではの講座でした。
3月22日(木)13:30~15:30
科学というものはどこであっても同じ現象がおこること、とおっしゃる南繁行さんは、電磁気学の研究から、電気自動車、電気船、オーロラなど幅広く研究されています。振り子の現象は、地球上どこへ行っても同じ動きをし、その規則を見つけるのが科学者です。僕の振り子と君の振り子が違うなどということはないわけです。
誰か人間が「あー」と言った場合、大抵は「あー」だとわかるけれど、「あ」という音をつくることは難しいのだそうです。またコンピューターで音から文章を起こすことはできるけれど、そのスピーチが怒っているのか、喜んでいるのかはコンピューターにはわかりません。機械ではわからない、人間にしかわからないものは数値にしにくいが大きな情報量があります。連続しているもの(マルコフ過程)は、次が予想できるそうです。株価や暗号解読、天気、ファッションなどがあるそうですが、一方でその予想をどう受け取るかは人間です。どう自分が判断するかが大事であり、そこに数値にしにくいけれど大事なものがあるのです。
3月23日(金)11:00~12:00
3月23日(金)14:00~16:00
オープントラカレ講座初の小4以下のこどもと一緒に参加できる講座。赤ちゃん連れのお母さんたち100名近くが集まりました。
今回は酒井邦嘉さんの絵本「ことばの冒険」(明治書院)を開きながら、ことばがどうなっているのか、こどもたちと一緒に本を読んだり、お話を聴きました。私たちが誰でも持っている「ことばの木」。ことばは、いくらでも長くできるんだよと、こどもたちと一緒に「これは ものがたりの本をよんだ男の子の すきなクジラの くらしているうみの かなたにある しまにはえている やしの木にのぼった サルの見上げた ほしをしらべにいく ロケットです」とことばの木を増やしてみました。どんなにことばが増えても、瞬時に「これ」が何を指すのかわかるのが、自然言語だそうです。
「かなしい」「うれしい」「たのしい」ということばを酒井さんが言うと、聞いていたこどもが「かなしいは過去」「うれしいは現在」「たのしいは未来」と発言する場面も。確かにかなしいことは過去のことが多いし、うれしいのは今、未来は楽しいことが待っているねと、酒井さんもこどもたちの本質をつかむ力に驚く場面もありました。
人間は、ことばを毎回新しく創り出す能力を持っています。たとえば、小さい子はお母さんのまねをしてことばを習得していきますが、まねだけしているのではありません。こどもは言いたいことしか言いません。たとえば「お母さん、ご飯の支度をするわ」と母親が言うと、こどもは同じことは繰り返さずに「お母さんがご飯の支度するの、待ってるね」と言いたいことを瞬時に創り出す能力を持っているのです。
文法性を備えた人間の言語であれば、乳幼児は必ず獲得できます。学校で教えなくても話せるものが自然言語。その意味では、たくさんの人の中で育つのがいいわけです。人間の言語は、単に単語を羅列すれば通じるというものではありません。たとえば手話で、日本語を母語にする人と話すとき、日本語の単語を羅列すれば通じるかというとそうではありません。会話に言語の骨(午前中の講座ではことばの木)があるから、他人にも通じるわけで、人間の言語は構造こそ命ともいえるそうです。そして構造は再帰的な性質があります。どんなに長い文章でも「これ」が何を指すのかわかるのは、言語が再帰的な構造を持ち、人間の脳である限り、その再帰的な構造をだれもが何語に対しても持っているからです。言語の構造は、可能無限といえます。
3月27日(火)10:30~12:30
ドイツの物理学者ハイゼンベルクの弟子であった山崎和夫さんは、素粒子とは何か、その哲学的な問題について、また邦訳したハイゼンベルク著『部分と全体』の題名について、今なぜハイゼンベルクがこの題名をつけたがわかったと話されました。
素粒子とは何か、どこまで細かく分割することができるのかという問題ですが、素粒子に素粒子をぶつけると粉々になります。その際、質量や電荷などが違うものが単体で見つかれば、それは別の粒子といえますが、同じものである以上、もうこれを「分割」とはいえないとするのがハイゼンベルクで、部分は全体を成し、全体もまた部分であるといえます。
またこどもたちには、何桁にもなる大きな数字が3で割れるかどうかを、どうやって見つけるかという話をしてくださいました。ただわかるだけでなく、証明のプロセスを自分で解けるようになること、なんでそうなっているんだろう?と思うことが大事なことです。ピタゴラスの定理を知っているだけでなく、どういう計算なのか、しくみを知ってこそが真の理解といえるのでしょう。ホワイトボード2枚にわたって、πメソンの質量が電子の200倍だということを実際に計算して、これが湯川秀樹博士の予言した中間子のはずでしたが、同じなのは質量だけで、実際は違ったんですよと話されました。
3月27日(火)14:30~16:30
共鳴は、その共有する性質を、お互い強め合って、さらに強い形にすることをいいます。2つの音叉の場合、一方をたたいて音を出させ、もう一方を音を出させないままただ近づけると、第2の音叉が同じ音を出し始めます。音の振動エネルギーが空気の振動によって運ばれたことになります。
また母音固有の音色をつくる声道の共鳴のことをフォルマントとよび、また各々の母音にいくつかの固有音があって、音の低いほうから第一フォルマント(F1)、第二フォルマント(F2)などと呼びます。
母音を聞いた時には、1つ1つの成分音は聞こえず、アとかイなどの1つの母音としてしか感じられないそうです。母音の口の形は、連続的に変えられるので、口の中の共鳴も少しずつ変わり、フォルマント周波数も変わり、音色が連続的に変わるために、ことばが2つ付いたりすると変わりやすくなるのです。たとえば、「あめ+かさ→あまがさ」「ひ+てる→ほてる」など。一方、子音は違います。舌先でつくる「タ」を連続的に変えることはできません。タとカは同じ舌だけど違う筋肉を使って発音するので、対立する子音を混ぜて使うことはないし、「タ」から「カ」にだんだんと変わるということもありません。母音は、言語の性質といえ、ことばの一番基本的な音の材料といえます。もし共鳴がおこらなかったら、口の形を選んで母音を決められないために母音はないし、また母音がなかったら、ことばを表すシラブルを作れないために、ことばはないといえるそうです。
3月28日(水)10:30~12:30
山形県にある高畠町のたった38人から始まった有機農業の動きを通して、個人が変われば地域が変わる、そして世界も変わるということが、昨今の安易なグローバリズムに警鐘を鳴らしてくれたように思います。自分たちの口に入る食べ物を安全なものにしたいと、安全な作物をつくるために、生きた土づくりから始め、環境を考え薬品の使用を止め、また農民が自立できるよう意識も変えていくという、根っこの部分からすべて変えようとした有機の里の38人。周りからは冷笑され続けながらも、継続しました。その中のリーダー的存在の星寛治さんは、後に高畠町で教育委員も務めます。せっかく自然が豊富な村にいながら、都会の子と同じように育っていくこどもたちを野へ帰すことで、人間本来の生命力や野生を取り戻すと考え、教育に取り入れていきました。
自分たちの環境をどう残すのか、人間としてどう生きていくのか、個人個人が自分の意見を持ち、またそれを発信していく大切さを考えるきっかけとなりました。
3月29日(木)10:30~12:30
ベトナムのことを中心に、インドシナ半島全体の言語やその背後にある国家、あるいはインドシナを支配していた国々の思惑などをお話していただきました。ベトナムは「越南」と書くように、越という国の南に位置する国でした。文化としては中国文化で、1915年までは公文書は漢字を使っていたそうです。17世紀にフランスからの宣教師らによって文字のラテン語化をされたわけです。6声あるベトナム語にアクサンを無理やりつけてアルファベットで書くことになりました。ただ、ベトナム自体がそれを拒んだかというとそういうわけではなく、むしろ「フランス人の贈り物」として受け入れたのです。その背景には、隣り合っている中国への反発がありました。1945年、ローマ字表記が正式採用されました。なので、フランス語のようなアルファベットの表記の裏側には、Hanoi(河内)、kysu(技師)、Quandiem(観点)、Denhi(第二)など漢字が隠れています。中国やフランスの支配が続いたベトナムですが、ことばは、国家ではなくそこに暮らしている民族のものという、本来は当たり前だったことに気付かされる講義でした。
3月29日(木)14:30~16:30
たとえばスイスのチューリッヒのレストランでは何語でも話せるウエイトレスさんがいるけれど、この人はここで何語でもオーダーを受けられるということで仕事をしているわけ。日本だったら4ヵ国語話せたら、自分を売り込みに行くでしょ。そんなのダメなんだよ。何を話すかが大事なんだ。つまんないことしか話せないんだったら仕方ない!と話す坂田さん。多言語は1つの方法。多言語をしゃべることが目的じゃなくて、そのことばで何を話すのかが大事。地図上でアフリカの国を知っているより、アフリカに友だちをつくったほうが近くなるという坂田さんのことばに実感を持ってうなづけるのではないでしょうか。
音楽は非生産的だけど、でも感情に訴え、やる気を起こすわけで、それで人生が充実するんだからいい!人間は思い込みに支配されがち。思い込みというのは幻想で、毛皮10枚としゃけ100匹と交換できるか・・・、同じだと思えば交換しようとするし、両方がそう思い込めば成立します。それは幻想であり、もしかしたら違うかもしれないわけです。でも人間の感情は幻想ではなくて、好きだったり嫌いだったり、痛かったりは本能。人間は幻想と感情の間を行ったり来たりしながら生きていくんだということばに、はっとさせられました。幻想があるから人間はよい方向に思い込んだりして今日という日を過ごせるのかもしれませんね。
3月30日(金)10:30~12:30
五箇条の御誓文は、坂本龍馬の船中八策が土台になっているといわれていますが、船中八策が世に出る1ヵ月前、赤松小三郎が「御改正之一二端奉申上候口上書」を提出していました。船中八策と比較すると、政治の基本理念のほかにも選挙による民主的な議会制度の提案など内容の先見性からみても、戦後の日本国憲法に近い内容でした。信州上田の下級武士の家に生まれた赤松小三郎は、学問に秀で、語学にも長けたことから勝海舟の門下生となり、長崎で航海術、砲術や兵学をオランダ人教官から直接学ぶことができました。英国の歩兵練法を翻訳したことから、英国式兵学塾、薩摩塾など開くのですが、非凡な才能が幕府に流れることを恐れた薩摩藩の思惑で、若くして殺されてしまいました。時代の表舞台を歩いた龍馬と、歴史から無視された小三郎を比較しながら、真の立役者は誰なのか、なぜ歴史から抹殺されようとしたのかなど、丸山さんの視点でお話ししていただきました。